春夏秋冬

日頃の生活を織り交ぜながら、弱い自分・心の内・本音を話しています。

何かを理解してもらうということ

自分の価値観は人に押し付けるものではありませんが。

これがもし仕事だったら

仕事として成すべきこと。成すためにすべきこと。

相手にどう理解してもらえば良いのか。

理解して貰うためには、どう言えば良いのか。

その上で、どう説明し対応依頼をするべきか。

そんな一般論を述べています。

先日、そんな一般論を述べる機会がありました。

すると

「正直、○○関連は全然分かりません。」

「こんなんじゃダメですよね。」

「分かってはいるんですけど・・・。」

こんな言葉が返って来ました。

見た瞬間、返す言葉がありませんでした。

ダメと言うのは自分に甘えている時の言葉ですよね。

軽く話している状態での言葉だったり

日常の生活の中での言葉であれば「ダメ」という言葉もあるかな。と思います。

でも、その時は真剣に話していた時。

しかも私が今まで言えなかった本音を言った時。

そして一番肝心な仕事の話をしていた時です。真剣にですよ。

にも関わらず、その言葉。

言葉の重みを全く理解していないんだ。そう思いました。

そう思ったら

この人に何を言っても無駄なんだ。

言うだけ無駄。労力を使っても意味が無いんだ。

そしてしまいには

本音を言ったのがとても馬鹿らしく虚しくなりました。

人が何かを理解するのは相手の捉え方一つで違います。

自分が求める理解と違っていた時、その人は理解の相違で苦しむでしょう。

自分がそうであるように。

ただ、少なからず

この人は何を言いたいんだ。何を求めているんだ。

その様な思いで相手が言っていることを理解し考えるのではないでしょうか。

そこが自分と人は違うということに繋がるのでしょうね。

これが自分の価値観で、冒頭述べた

自分の価値観は人に押し付けるものではないとすれば

自分の理解を相手に同様に求めてはいけないということになります。

人に何かを求めること自体間違っている。

それは根本から私の考えが間違っているということになります。極論かもしれませんが。

でも、果たして本当にそうなんでしょうか。

私自身、人と話す時、少しでも相手が何を言いたいのかを考え

理解しようと努力し、その上で会話をしています。

これは、仕事云々、自分の価値観以前に、一般的な会話術なのでは?

だとしたら、私の言っていることは合っているのでは?

と思ってしまう自分もいます。

人と言うのは面倒な生き物です。

考える脳があるが故に様々な思いが錯綜し、それが時に誤解を生む。

その誤解は更に間違った理解をされ別の人に伝わり更なる誤解を生む。

そうならない様に本音を言ったのですが

その本音が理解されなかったら、私はこれ以上何をすればいいんですか。

もうこれ以上、私にできることは何一つありません。

そういう所から人と接するのが億劫になり

必要最小限、聞かれた時だけ答える。そんな状態になる訳です。

心の奥底はその人にしか分かりません。

本音を言うのも余程の覚悟が要ります。

・・・私は余程のことが無い限り言えない性格なので余計です。

私にとっては余程の覚悟を持って言ったことだったのですが

相手にとっては、そうじゃなかったってことですね。

本音と思われていない。

本音と思われていないが為に軽く受け止められてしまった。

また、本音と思われていないが為に軽い台詞で切り返された。

今回の件を通じて如何に人と話すのが難しいか。

人に理解してもらうということがどれだけ難しいということか。

痛感しました。

そして、世の中には本当に色々な人がいるんだ。

ということを身を以って実感しました。

自分には自分の苦しみがあります。

人に聞いてもらうことはできます。

ヒントを探すこともできます。

でも結局の所、自分の苦しみは自分でしか解決できません。

以前にも書きましたが、ここは冷静になれる場所である反面

書くことで冷静になり過ぎて更に考えてしまう自分もいます。

考え過ぎたくないのでここ数年は少し距離を置いている自分がいました。

少し前、ポジティブになった矢先の出来事。

あまりに違うのでは。そんな思いに駆られて久し振りに書きたい気分になりました。

但し、これはあくまでも私自身の思いであり気持ちです。

決して人に押し付けるものでもありませんし

何かを求めようとしている訳でもありません。

文章にして少し冷静になって自分を立て直す。

そう思ったから此処に書く。ただそれだけのことなのです。

いつものようにいつものペースでいつも通りの生活を。