春夏秋冬

日頃の生活を織り交ぜながら、弱い自分・心の内・本音を話しています。

ある人の言動

こういう場所で書く内容なのか・・・とても悩みました。

でも、ここは私の気持ちを素直に出す場所でもあるので、思い切って書くことにしました。

つい、3週間前くらいのことでしょうか。

ある人の手首にバンドエイドが貼られていました。手首を切ったんだ。直感でそう思いました。

聞いた所で本当の事を言う筈がありません。

案の定、ビニールテープを切っていた時、手が滑ったと笑って言い放っていました。

この事を問い詰めた所で、本当の事を言う訳もないだろうしと思い黙っていました。

そして、つい先日の金曜日。その人は家に帰って来ませんでした。

門限があっても門限なんて無いも同然。

連絡する様に口を酸っぱくして言っても、なんのそのです。

ある人の家に連絡をしてみると、注意されるのが嫌だから連絡しない。と言っていたと言うのです。

反発したい気持ちも分かりますが、どうしてそこまで反発したいのでしょう。

誰でも通る道ではあるのですが、ここまで反発心が強いとは。

私も黙って様子を見ていた分、怒りが徐々に浸透してきました。

翌日は、朝から用があったので心配しながらも外出して夕方帰宅すると物家の空。

でも何となく帰って来た雰囲気があったので、すぐさま習い事に行ったのだと信じていました。

暫くすると、習い事の先生から「来てないのですが・・・?」の電話。

大きな溜息と同時に余りにも理不尽な行動に怒りを覚えずにはいられませんでした。

それは、翌日、その習い事の大事な発表会を控えていたからです。

この大事な発表会は、個人だけで成り立っているものではありません。

一人が休むことで、どれだけの人に迷惑が掛かり、どれだけの人を心配させることになるでしょうか。

自分の行動には自分で責任をとる年齢です。もう子供ではないのですから。

心当たりの場所を幾つか電話しても、常に留守電にしかなりません。

留守電にメッセージを残し、そしてまた気になるから電話して留守電にメッセージを残す。

もどかしい気持ちで、こんなことを何回、繰り返したことでしょう。

2時間くらい、こんなことを繰り返していたら、時期に何食わぬ顔で帰って来ました。

私自身、相当怒りが頂点に達していたのでしょう。

凄い勢いで玄関に向かい、鷲づかみにして夢中で自分の思いを話しました。

昨日のこと。今日のこと。明日のこと。でも、全く謝る様子がありません。

もどかしい気持ちになりながら心配掛けてしまった先生の所へ連絡し、本人の口から謝らせました。

すると鷹が外れてしまったのか、電話を切った途端、泣きじゃくってしまいました。

そして、大泣きしながら、自分は精神病院に行った方がいいかもしれないと言い出すのです。

心の中で、自分の存在価値を否定する自分と肯定する自分が戦っているそうです。

いけないことだと分かっていながら、とにかく反発したくなるそうです。

自分は必要とされていない人間だから。そう思ってカッターで手首を切ったそうです。

手首を切った時、じわじわと血が出てきて、生きていることを実感できたそうです。

と同時に、自分は生きていたい。そう思ったそうです。

決して本気で死ぬつもりではなくて、少し自分を苦しめてみたかった様です。

この3週間の間に6・7回もこんなことをするなんて・・・。

まさに私が、手首にバンドエイドを貼っていたのを見た時期でした。

それにしても、ここまで自分を苦しめているその人が不憫でなりませんでした。

そうしてしまったのは自分のせいなのか。物の通りを誤ってしまったのか。

色々な思いが頭をよぎります。

誰でも自分を否定する時期はあると思います。

私も中学高校、会社に入ってからも、自分の存在価値を考えることがあるのですから。

でも、この世に生を受けたこと自体、この世に必要とされているのだ。と私は思っています。

もちろん、いつもということではなくネガティブな自分がいることも分かっています。

以前、勇気を出して中学高校時代の日記を公開しました。

よくよく聞いてみると、斜め読みしかしていないと言うのです。

私が、どんな思いで、この日記を公開したのでしょう。

気持ちが伝わっていなかったのですね。

この日記には、両親への反発、友達への本音、兄弟姉妹へのやきもち、など

本当に様々な思いが書かれていて、そこには何かヒントがあると思っていました。

今の自分の気持ちから抜け出したいのなら、もっと本気で日記を読む様に言いました。

これも単なる押し付けですね。押し付けられると逆にイヤになるものです。

私自身も、小学校や中学校の頃は、どれだけ自分を否定してきたことでしょう。

自分は、この世に不必要な人間だから。死んでしまった方がいいのかもしれない。

ほんの些細な人の言動が気になり、正直、包丁を手にしたこともありました。

だからと言って、何かするかと言うと、結局は勇気が無くて何も出来ませんでした。

それ以前に、自分自身を痛めることが自分自身をどれだけ苦しめることになるか。

無意識に分かっていたのかもしれません。

今は時々、自分の存在価値を考えることはあっても自分を否定することは殆どなくなりました。

それは何よりも、自分自身が嫌いだった自分から、自分自身を好きになった自分になったからです。

以前に比べれば少しは好きになったという感じ。

人の心の奥底は計り知れない思いがあるのだとは思いますが

少なくとも、家族、友達、先生、多くの人に支えられながら

人間は生きている。大切な存在であることを分かってほしいです。

リストカットをしたことを、正直に話してくれたことに感謝です。

そして今は、仕事がどんな状態でも早めに帰宅して様子を見守る事が一番です。

結びに、以前にも書いた内容を綴ります。

もっと自分に自信をもって。もっと自分を好きになって。

自分を好きになれば、人のことはもっと好きになれると思うから。

ずっと辛い時ばかりじゃないから、無理しないでゆっくり歩いてください。